実践まちづくりファシリテーション講座

もう「調整」で疲弊しない。厄介な“反対意見”を宝の山に変える、新しい合意形成の教科書

第1章:なぜ「全員賛成」のプロジェクトほど、あっけなく頓挫するのか?

政策企画課の係長として、多くのプロジェクトを抱えるあなたは、今日も分厚い資料と終わらない調整業務に追われていることでしょう。特に、新しい施設の建設計画や、地域の将来像を描くような大規模な計画を担当されているかもしれません。本当にお疲れ様です。

そんな多忙な毎日の中で、関係部署との調整会議が、驚くほどスムーズに進んだ経験はありませんか。誰も異論を唱えず、事前に用意した資料の通りに「異議なし」で議事が進行していく。普通に考えれば、これは喜ばしいことのはずです。「ああ、これでようやく一歩前に進める」と、胸をなでおろしたかもしれません。

しかし、少し立ち止まって考えてみてほしいのです。その静けさは、本当に「全員の合意」を意味しているのでしょうか。私が長年の行政経験で見てきた、多くの苦い失敗には、ある共通点がありました。それは、プロジェクトの初期段階で「異論が出なかった」という、一見すると輝かしい成功体験です。

「静かな海」の不気味さ

嵐の前の海が、不気味なほど静かになるように、プロジェクトにおける「静かな合意」は、しばしば、その後に訪れる大きな嵐の前触れとなります。なぜなら、その静けさの裏には、表に出てこない様々な「声なき声」が渦巻いているからです。

例えば、こんな声です。

声の主その本音
担当部署の若手職員「本当は少し懸念があるけれど、係長や課長の前で反対意見なんて言えるわけがない…」
関連部署のベテラン職員「どうせうちの部署には直接関係ないし、ここで波風を立てるのは面倒だ。黙っておこう」
上層部の管理者「細かな点は気になるが、大筋では賛成だ。細かいことは担当に任せよう」

これらの声は、決して悪意から生まれるものではありません。むしろ、組織人としての処世術であったり、日々の業務に追われる中での現実的な判断であったりします。しかし、こうした小さな「違和感」や「懸念」が表明されないまま積み重なったプロジェクトは、まるで砂上の楼閣(つまり、砂の上に建てた立派な建物のように、土台が非常に脆い状態)のようです。

「総論賛成・各論反対」という典型的な罠

行政の現場でよく使われる言葉に、「総論賛成・各論反対」というものがあります。これは、「まちを良くするという大きな方向性には賛成だけれども、具体的な方法、例えば、自分の家の近くに施設が建つことには反対だ」という状況を指します。

これは、まるで町内会の夏祭りの準備に似ています。「子どもたちのために祭りをやろう!」という大目標(つまり、総論)には、誰もが賛成します。しかし、「じゃあ、誰が会計を担当するのか?」「準備のための集まりは、平日の夜か、休日か?」といった具体的な話(つまり、各論)になると、途端に意見が割れ、誰も手を挙げなくなってしまうのです。

初期段階の「静かな会議」で合意されたように見えたものは、この「総論」に過ぎません。参加者は、まだ自分事としてプロジェクトの細部を捉えていないのです。そして、計画が具体化し、住民説明会の開催や、予算の詳細が明らかになった段階で、初めて「そんな話は聞いていない」「私の意見が全く反映されていない」という各論の反対意見が噴出します。その時になってからでは、もう手遅れなのです。

まとめ

「全員賛成」という状況は、一見すると理想的に見えますが、実はプロジェクトに潜むリスクを見えなくしてしまう危険なサインかもしれません。それは、本当の意味での合意形成がなされていない、ただの「思考停止」の状態である可能性が高いからです。もし、あなたが今、あまりにも順調に進んでいるプロジェクトに携わっているとしたら、それはむしろ警戒すべき兆候かもしれません。

その静けさに隠された、まだ聞こえていない小さな声に、どうすれば耳を傾けることができるのでしょうか。次の章では、私たちが無意識に陥ってしまう「みんなのため」という言葉の罠について、さらに深く掘り下げていきます。

第2章:「みんなのため」という言葉に潜む、思考停止の罠

自治体職員である私たちは、仕事のあらゆる場面で「市民のため」「地域のため」という言葉を使います。予算を要求する時、議会で答弁する時、そして、少し難しい調整をお願いする時。この言葉は、私たちの仕事の根幹をなす、いわば「大義名分」であり、使命感の源泉でもあります。

あなたも、目の前の困難な課題に対して「これは市民みんなのためなんだ」と自らを鼓舞し、乗り越えてきた経験が一度ならずあるのではないでしょうか。その志は、非常に尊いものです。しかし、その一方で、この魔法の言葉が、時として私たちの思考を停止させ、視野を狭めてしまう「罠」になることがあるとしたら、どうでしょうか。

心地よい「思考のショートカット」

「みんなのため」という言葉は、複雑な問題を単純化してくれる、非常に便利な「思考のショートカット(近道)」です。多様な意見が対立する中で、「何が最も重要か」という判断軸を与えてくれるからです。

例えば、ある道路計画で、一部の住民から強い反対意見が出たとします。その時、「しかし、この道路ができれば渋滞が緩和され、多くの市民の利便性が向上する。これは『みんなのため』に必要な事業だ」と考えることで、私たちは反対意見と向き合う精神的な負担を軽減し、計画を進める正当性を得ることができます。

ですが、これが罠の入り口なのです。この瞬間、私たちは無意識のうちに「多くの市民」と「一部の住民」を天秤にかけ、前者こそが「みんな」であると定義してしまっています。そして、後者の意見を、プロジェクトを前に進める上で乗り越えるべき「障害」や、処理すべき「課題」として捉え始めてしまうのです。

異論を「ノイズ」にしてしまう麻酔効果

「みんなのため」という大義名分は、まるで強力な麻酔のようなものです。これを唱えることで、私たちはプロジェクトに反対する声がもたらす「痛み」を感じにくくなります。むしろ、その痛みを訴える声自体を「ノイズ(雑音)」として処理し、聞こえないふりをすることさえ可能にします。

私が現場で何度も目撃してきたのは、非常に真面目で正義感の強い職員ほど、この罠に深くはまってしまうという皮肉な現実です。彼らは決して、少数意見を意図的に無視しようとしているわけではありません。むしろ、「みんなのため」という大義を信じるあまり、それに反する意見が「理解できない」「間違っている」としか思えなくなってしまうのです。

これは、自分が見たいもの、信じたい情報だけを集めてしまう「色眼鏡」をかけている状態に似ています。プロジェクトに賛成してくれる人の声は大きく聞こえ、反対する人の声は小さく、あるいは歪んで聞こえてしまう。その結果、本来であればプロジェクトのリスクを知らせてくれるはずの重要な警告を、ただの不平不満として片付けてしまうことになります。

その「みんな」とは、一体誰ですか?

ここで一度、根本的な問いに立ち返る必要があります。私たちが口にする「みんな」とは、一体誰のことなのでしょうか。

想定される「みんな」その実態
サイレントマジョリティ(物言わぬ多数派)本当にそうでしょうか。単に意見を言う場がない、あるいは諦めているだけかもしれません。
未来の世代の子どもたち彼らの利益を、私たちが本当に代弁できているのでしょうか。一方的な思い込みかもしれません。
地域の経済界や有力者彼らの声が、他の住民の声よりも優先されるべき「みんなの声」なのでしょうか。

「みんな」という言葉は、非常に曖昧で、使う人によって都合よく定義できてしまいます。そして、その曖昧さこそが、具体的な顔を持つ「一人」の意見を、いとも簡単に切り捨ててしまう土壌となるのです。

まとめ

「みんなのため」という言葉は、私たちの仕事への誇りと情熱の源であると同時に、思考を停止させ、多様な意見に耳を塞いでしまう危険な罠でもあります。この罠は非常に巧妙で、善意や使命感に満ちた人ほど、その存在に気づくことさえ難しいのです。

しかし、この罠の存在に気づき、「自分が今使っている『みんな』とは、本当にみんななのだろうか?」と自問することこそが、悲劇的な結末を回避するための、最も重要で、そして確実な第一歩と言えるでしょう。では、この思考停止によって見過ごされた「小さな声」は、放置されると、やがてどのような事態を引き起こすのでしょうか。次の章で、具体的な事例を交えながら見ていきたいと思います。

第3章:良かれと思って踏み潰した「小さな声」が、プロジェクト全体を揺るがす巨大なリスクに変わるまで

「この程度なら、説明すればわかってもらえるだろう」「少数の意見のために、全体の計画を遅らせるわけにはいかない」。そう考えて、前に進めたプロジェクトが、後になって思わぬ抵抗にあい、完全に手詰まりになってしまった。係長であるあなたも、そんな苦い経験をしたことがあるかもしれません。

それは、まるでダムに開いた、ほんの小さな亀裂のようなものです。最初は指で塞げるほど小さく、誰も気にも留めません。しかし、その亀裂を放置した結果、水圧で徐々に広がり、ついにはダムそのものを決壊させてしまう。まちづくりにおける「小さな声」の無視は、まさにこのプロセスを辿るのです。

ここでは、「小さな声」が巨大なリスクへと変貌していく、典型的な3つのステージを見ていきましょう。

第1ステージ:無視と軽視が生む「不信の種」

プロジェクトの初期段階。住民説明会やパブリックコメントで、いくつかの懸念や反対の声が上がります。例えば、「新しい文化ホールの建設予定地は、昔から地域の子どもたちの遊び場だったんだが、その場所は確保されるのか?」といった、素朴な問いかけです。

しかし、多忙な担当者は、「全体の計画から見れば些細なことだ」と判断し、「代替の公園は別途検討します」といった紋切り型の回答でその場を収めようとします。ここが、多くの行政職員が判断を誤る、最初の分岐点です。この対応は、質問者の心に「私たちの声は、真剣に聞いてもらえないのだ」という、小さな、しかし消えることのない「不信の種」を植え付けます。

この段階では、まだリスクは表面化しません。しかし、水面下では、同じような思いを抱いた人々が静かにつながり始め、見えない渦がゆっくりと巻き始めるのです。

第2ステージ:「数の論理」が招く「徹底抗戦」

プロジェクトが具体化するにつれ、無視された人々は、より強い手段で意見を表明しようとします。最初は数人だった声は、同じ不安を共有する人々を集め、「〇〇を守る会」といった組織的な活動へと発展していきます。彼らはメディアに情報を提供し、議員に働きかけ、自分たちの主張の正当性を訴え始めます。

行政側は、ここで「数の論理」を持ち出しがちです。「アンケートでは8割の方が賛成しています」「反対しているのはごく一部の方だけです」と。この対応は、火に油を注ぐ最悪の一手です。数の力で押し切ろうとすればするほど、少数派は「自分たちの存在そのものが否定された」と感じ、もはや妥協の余地のない「徹底抗戦」の構えを見せるようになります。

この段階に至ると、もはや当初の論点であった「子どもの遊び場」の問題だけでは収まりません。「行政の進め方が強引すぎる」「住民の意見を無視する市に、計画を進める資格はない」といった、感情的な対立へと発展してしまうのです。

第3ステージ:手続きの瑕疵(かし)と失われた信頼

最終段階で待ち受けているのは、法的な闘争と、プロジェクトそのものの崩壊です。徹底抗戦を決意した住民側は、専門家の助けを借り、行政がこれまで進めてきた手続きのあらゆる点を洗い出します。

住民側が指摘する典型的な論点その結末
説明会の周知期間が短かったのではないか行政手続法や地方自治法に定められた手続き上のミスや不備(つまり、瑕疵)が見つかれば、事業の差し止めを求める訴訟に発展します。たとえ裁判で勝ったとしても、その過程で議会は紛糾し、予算は凍結され、プロジェクトは完全に塩漬け状態となります。
議事録の公開が適切に行われていない
計画の前提となるデータが古いのではないか

私がこの目で見てきた、最も悲しい結末は、プロジェクトが頓挫するだけでなく、行政と住民との間に、何十年にもわたって修復不可能な深い溝が刻まれてしまうことです。一度失われた信頼を取り戻すのは、新しい事業を一つ立ち上げるより、遥かに困難な道のりです。

まとめ

良かれと思って前に進めようとした、その熱意。効率を重視するあまり、後回しにしてしまった、あの小さな声。その一つ一つの判断が、気づかぬうちにプロジェクトを巨大なリスクに晒し、取り返しのつかない事態を招いてしまうのです。

しかし、絶望する必要はありません。この悲劇的なメカニズムを理解することこそが、同じ過ちを繰り返さないための、そして、対立を乗り越えるための唯一の羅針盤となるのです。では、私たちは、あの時発せられた「小さな声」を、どのように受け止めるべきだったのでしょうか。次の章では、その声が持つ、思いもよらない価値について考えていきます。

第4章:「どうせ反対する人」とラベルを貼る前に。その声は、未来からの「警告」かもしれない

あなたの頭を悩ませる「いつものあの人」の顔を思い浮かべてみてください。どんな説明会にも必ず一番前の席に座り、計画の粗を探すように鋭い質問を投げかけてくる人。あるいは、何度も市役所に電話をかけてきては、同じ主張を繰り返す人。私たちはつい、そうした人々を「クレーマー」や「何にでも反対したい人」という色眼鏡で見てしまいがちです。その気持ちは、痛いほどよくわかります。

しかし、もし、その耳の痛い声こそが、プロジェクトを破綻から救うための、未来からの「警告」だとしたらどうでしょうか。私が多くの修羅場を経験する中でたどり着いた結論は、「厄介な反対者」とは、実は「無料で事業のリスクを指摘してくれる、最もありがたい存在」である、という事実です。

炭鉱のカナリアは、誰のために鳴くのか

かつて炭鉱では、有毒ガスを検知するために、人間よりも敏感なカナリアを籠に入れて坑内に連れて行きました。もしガスが発生すれば、カナリアは人間よりも先にさえずるのをやめ、あるいは倒れることで、鉱夫たちに危険を知らせるのです。その時、鉱夫たちはカナリアを「うるさい鳥だ」と無視するでしょうか。いいえ、むしろ「命の恩人」として、その警告に感謝するはずです。

まちづくりにおける反対意見も、これと全く同じです。彼らは、私たち行政担当者や、大多数の「まだ無関心な」住民が気づいていない、プロジェクトに潜むリスクや問題点を、誰よりも早く察知して声を上げている「カナリア」なのかもしれません。私たちはその声を「雑音」としてではなく、事業の安全性を高めるための重要な「警告」として聞く姿勢を持つ必要があります。

反対意見は「3つの宝の山」である

「どうせ反対したいだけだろう」と、その声の上辺だけを捉えていては、本質を見誤ります。一見、ただの感情的な不満や、自己中心的な要求に見える意見の奥深くには、プロジェクトの価値を劇的に高める「宝」が眠っていることが少なくありません。反対意見は、大きく3種類の宝の山に分類できます。

宝の山の種類その中身と価値
未知のリスクが眠る山私たちが机上の計画では到底予測できなかった、現場ならではのリスクが隠されています。「その道路ができると、雨が降った時に水が溢れる危険がある」といった声は、高額なコンサルタントに依頼する事業アセスメント(つまり、影響評価)よりも、よほど実践的なリスク指摘です。
見過ごされた価値が眠る山私たちが「古い」「価値がない」と判断した場所に、地域の人々しか知らない歴史や愛着といった、かけがえのない価値が眠っていることがあります。「ただの空き地に見えるかもしれないが、あそこは昔、地域の盆踊りが行われた大切な場所だ」という声は、計画に文化的な深みを与えるヒントになります。
代弁されていない声が眠る山その人自身のためではなく、社会的に声が届きにくい他の誰かのために、あえて悪役を買って出ている場合があります。「新しい公園にスロープがないと、車椅子の人は利用できない」という声は、まだこの計画に関心を持つに至っていない、多くの人々を代弁する貴重な意見です。

彼らは、「反対のための反対」をしているのではありません。自分たちが大切にしている何かを「守りたい」という、強い想いがあるからこそ、勇気を出して声を上げているのです。その想いの根源に寄り添うことができれば、対立は一瞬にして対話へと変わります。

まとめ

「どうせ反対する人」というラベルを貼って思考を停止してしまえば、私たちはプロジェクトに潜む重大なリスクを見過ごし、地域に眠るかけがえのない価値を破壊し、そして、声なき人々の想いを踏みにじることになります。それは、行政職員として決してあってはならないことです。

明日から、その人のことを「反対者」と呼ぶのをやめてみませんか。そして、彼らを「未来からの警告を届けてくれるメッセンジャー」あるいは「宝の山のありかを教えてくれる案内人」だと考えてみてください。その小さな意識の転換が、あなたのプロジェクトを、そしてあなた自身の仕事の質を、根底から変えることになるかもしれません。では、その宝の山を具体的にどう掘り起こし、プロジェクトに活かしていけば良いのでしょうか。次の章で、その実践的なアプローチを見ていきましょう。

第5章:「対立」を「対話」に変え、プロジェクトの推進力にするための実践的アプローチ

前章までで、私たちは「反対意見」という耳の痛い声が、実はプロジェクトを成功に導くための「宝の山」である可能性を見てきました。しかし、頭では理解できても、「では、具体的にどうすればいいのか?」と途方に暮れてしまうのが現場の実情でしょう。係長、あなたはこれまで「正しい計画」を、いかに分かりやすく、いかに丁寧に「説明」し、相手を「説得」するかに心を砕いてきたのではないでしょうか。その真摯な姿勢は、行政職員として不可欠なものです。

しかし、「対立」の構造に陥ってしまった時、残念ながら「説明」や「説得」は、もはや有効な手段ではありません。むしろ、相手の態度をより硬化させてしまう危険さえあります。ここから必要になるのは、「説明」ではなく「対話」です。そして、「説得」ではなく「協働」という、全く新しいアプローチなのです。

「何を言っているか」ではなく、「なぜ、そう言うのか」に焦点を当てる

対立を対話に変えるための、最も重要で、かつ強力な鍵。それは、相手の表面的な「主張」の裏にある、その人にとっての「本当に大切なこと」を探り当てることです。交渉学の世界では、これを次のように呼びます。

ポジション(Position)インタレスト(Interest)
その人が公に主張している「要求」や「言い分」のことです。これは、水面に浮かぶ氷山の一角にすぎません。その主張の背景にある、本当の「願い」「懸念」「価値観」のことです。水面下に隠れた、氷山の本体部分にあたります。

対立が深まっている時、私たちは互いの「ポジション」をぶつけ合ってしまいがちです。「計画に断固反対だ!」「いや、計画の変更はできない!」と。このままでは、永遠に平行線です。ここからが、あなたの腕の見せ所です。相手のポジションに反論するのではなく、そのポジションを支えている「インタレスト」に、静かに耳を傾けるのです。

実践:「公園のフェンス」を巡る対話

ここに一つの事例があります。市が、子どもたちの安全のために公園の周囲に高いフェンスを設置する計画を発表したところ、一部の住民から「景観を損なうからフェンスの設置には反対だ!」という強い声が上がりました。

この時、従来の「説明」モデルであれば、「このフェンスは、子どもの飛び出し事故を防ぐために必要なのです!」と、計画の正当性を繰り返し主張するでしょう。しかし、これでは対立が深まるだけです。

「対話」モデルでは、全く違う問いかけをします。「なるほど、景観をとても大切にされているのですね。もしよろしければ、この公園の景観の、どのような点を特に守りたいとお考えか、もう少し詳しく教えていただけますか?」と。つまり、「なぜ」を問うのです。

すると、住民はこう語り始めました。「あの公園は、昔から地域のシンボルである桜の木が一番美しく見える場所なんだ。高いフェンスができたら、道からその桜が見えなくなってしまう。それが寂しいんだよ」。

見えてきました。この住民のインタレストは、「計画に反対すること」ではなく、「地域のシンボルである桜の景観を守りたい」という願いだったのです。一方で、行政側のインタレストは「フェンスを設置すること」ではなく、「子どもたちの安全を守りたい」ということです。

ここまで分かれば、解決策は無数に考えられます。「桜の木の周りだけ、フェンスのデザインを変えて高さを低くするのはどうだろうか?」「代わりに、植栽で飛び出しを防ぐのはどうか?」といった、誰もが納得できる第三の道(つまり、Win-Winの解決策)を見つけ出すことができるのです。対立していたはずの住民は、この瞬間から、プロジェクトをより良くするための、最も頼もしい「協働者」に変わります。

まとめ

「対立」とは、ポジションとポジションのぶつかり合いです。一方で「対話」とは、互いのインタレストを理解し、尊重し合うことから始まります。あなたの仕事は、計画の正しさを「説明」することではありません。住民一人ひとりが持つ、多様な「インタレスト」を丁寧に掘り起こし、それらを創造的に組み合わせて、より良い未来を描き出す「触媒」となることです。

この「なぜ」を問いかけるアプローチは、非常に強力ですが、深い傾聴のスキルと、相手への真摯な敬意がなければ、ただの詰問になってしまう諸刃の剣でもあります。しかし、この技術を身につけた時、あなたはもはや単なる計画の担当者ではなく、地域の未来を創造する、真のファシリテーター(つまり、合意形成の専門家)へと進化することができるでしょう。

第6章:まとめ、明日からできる、小さな声に耳を澄ますための第一歩

ここまで、本当に長い道のりでしたね。「みんなのため」という言葉の裏に潜む罠から始まり、無視された小さな声が引き起こす悲劇、そして、対立を対話に変えるための具体的なアプローチまで、一緒に考えてきました。おそらく今のあなたの頭の中は、多くの気づきと、同時に「これを本当に現場で実践できるだろうか」という、少しの不安で満たされているのではないでしょうか。

それでいいのです。むしろ、その不安こそが、あなたがプロフェッショナルとして、次のステージへ進む準備ができた証拠に他なりません。いきなり、完璧なファシリテーターになる必要などないのです。

あなたの「想い」こそが、全ての出発点

この記事を通じて、私がお伝えしたかったことは、突き詰めればたった一つです。それは、「対立を乗り越えるための最も重要な資源は、スキルやテクニック以前に、あなたの心の中にある」ということです。

あなたが行政の仕事を志した、あの時の気持ちを思い出してみてください。「この地域を、もっと良くしたい」「住民のために働きたい」。その純粋で熱い想いこそが、どんなに複雑に絡み合った糸をも解きほぐす、最強の力なのです。小手先の技術は、その想いを実現するための道具にすぎません。

だからこそ、自信を持ってください。あなたはすでに、最も大切なものをその手に持っているのですから。

明日、たった一つだけ試してほしいこと

とはいえ、具体的な行動なしに現実は変わりません。そこで、あなたが明日から、いいえ、この記事を読み終えた直後から実践できる、たった一つのことを提案させてください。それは、何かに行き詰まった時、心の中で自分自身に、たった一つの質問を投げかけることです。

「この人の『守りたいもの』は、一体何だろう?」

あなたの計画に反対する住民。予算に難色を示す上司。協力してくれない関連部署の職員。彼らの「主張(ポジション)」に苛立った時、一度だけ立ち止まって、この魔法の質問を自分に投げかけてみてください。そして、その人の「願い(インタレスト)」を想像してみるのです。

この小さな内省の習慣が、あなたの視野を劇的に広げ、これまで「敵」や「障害」に見えていた人々が、全く違った存在に見えてくるはずです。これが、対立を対話に変える、小さく、しかし最も確実な第一歩です。

あなたの仕事を「調整」から「創造」へ

もちろん、実際の現場はもっと複雑で、困難な局面が待ち受けているでしょう。一度こじれてしまった感情をときほぐすには、どうすればいいのか。全く違う価値観を持つ人々が、同じテーブルで未来を語り合う場を、どうやって作ればいいのか。これらの問いに答えるためには、より体系的な知識と、実践を通じたトレーニングが必要になることも事実です。

もしあなたが、この「対話を通じた合意形成」という、これからの時代に不可欠なスキルを本気で身につけ、自らの市場価値を高めたいと願うなら、そのための学びの場を探してみるのも一つの道です。

あなたの仕事は、単なる「調整業務」ではありません。多様な人々の想いを紡ぎ合わせ、対立さえもエネルギーに変えて、誰もが予想しなかったような、より良い地域の未来を創り出す、オーケストラの指揮者(コンダクター)のような、創造的な仕事なのです。

この記事が、そのための確かな羅針盤となることを、心から願っています。あなたの挑戦を、応援しています。

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